死にはしないけど、生きる欲望もない。
こんにちは。
腸もみ先生こと B more B リンパセラピストの安部一江です。
突然ですが、「死にたい」って思ったことありますか?
平々凡々とフツーのサラリーマン家庭で育った私ですらあるのだから、目には見えないけど、密かにきっとみんなあるんだろうなと考えたりする。
辛かった記憶… 私の中で大きかったのは三度ほど。
一度目は、大学受験のために必死にデッサンを頑張っていたとき。
頑張っても頑張っても満足するものが描けない。
講評では、人格否定か?!っちゅうほど批判され、毎回、頭を思いっきり殴られたような気分になる。
その後、無事に家に帰りつけるのが奇跡で、家の前で原付バイクを降り、家に入って、ご飯を食べようとしたときにようやくヘルメット被ったままの存在に気が付く…、というような放心状態の時もあった。
二度目は、20代半ばで経験した男の裏切り。。。
お金こそ奪われなかったものの、それまでときめきでいっぱいだった私の心のやり場が突然なくなってしまった。今は思い出せないけど、これは超絶苦しかった記憶がある!
なんとかちゃんと会社には行けていたものの、家の鍵を閉め忘れたり、信号を渡った記憶がなかったり・・・。誰とお話ししてても、お酒を飲んでも楽しくない。逆に余計辛くなったりして、突然涙が抑えられなくなったりした。
三度目は、福岡へ転勤で来た時。
それまで通用していたありのままの自分の態度が周囲に受け入れられない。相手の期待に応えられていない自分に傷つき、周りからの冷たい視線や態度が追い打ちをかけた。何をどうしていいのか分からず、心を閉ざしてしまいそうになった。
「生きるのがツラい」「いっそのこと死んでしまいたい」ってほど落ち込んだ経験だったけど、今は楽しい。
諸行無常ってこのこと?(笑)
今度の子育て講座テーマが「自死を選択しない~」だったので、今まで自分はどうやって解決してきたんだろうって、ちょっと予習がてら考えてみた。
もちろん、「時間」と答えてしまえばそれまでなんだけど…。
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最近、独身女性の自殺が増えていることが話題に上がっていたりするが、
既婚者でなく「独身」というところがとても納得がいく。
今は子供がいるし、生きる使命のような志事を見つけたから、死にたくない、とか生きたいって熱く思えるけど、正直、それまではどっちでも良かった。
私を愛してくれる、親や、祖母、祖父のため。
ただ、それだけのために笑って生きている。
死ぬのは怖いからあえて選択しないけど、そこに生きる欲望なんてのもあるわけじゃない。
だから、もし、その愛情のつながりが途絶えてしまっていたなら、選択の余地は十分にあるわけで、
死の恐怖さえ拭えれば、選択できる。
いつでも、誰でも、生きる苦しみが引き金になる。
だから、死を選択しない一番の解決策は、
素のままな私を、愛してくれる誰かとちゃんとつながっていること。
素なままな私とは、何もできない、赤ちゃんのような私。
何も頑張らなくても、ただ、存在だけを喜んで愛でてくれる人。
もしかしたら、動物でも、大自然でもいいのかもしれない。
振り返ってみると、その時に応じて、ちゃんとそのような誰かがいた。
家族もそうだし、お休みの度にドライブにつれて行ってくれた友人…
あ、
ヤバい。
書きながら、涙が出てきた。
でも、ま、そういうこと。
ちなみに、私は腸もみセラピストでもあるので一言付け加えておくが、
「愛情たっぷりな美味しいものを食べる。」 これも超大事!
今でこそ、セロトニンだ、ホルモン分泌だって理屈で説明できるのだけれど、
家に帰って母の作ったご飯を食べた時、一瞬でツライ気持ちが吹き飛んだことがあった。たしか、見た目はフツーのお魚だったかな。(笑)
愛情は水質に転写されるらしい。
これは最近、ある実験のドキュメンタリーを観て知ったことだけど、私の経験でもちゃんと実証されている。
幸せなんて、案外単純。
だって、人間だから。
所詮、自然の一部だもん。