突然のキャンセルから見えてきたこと。

こんにちは。腸もみリンパサロンのアベちゃんです。

 

突然なくなった今日の午後の予約。。。

 

悲しみに明け暮れ暇をもてあましてこのブログを書いているのではなく、大きな気づきがあったのでシェアします。

 

・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。

 

そもそもこのサロンは妊娠に苦悩し、産後元気に復活するまでの自分の経験がエネルギーの発起となっている。なので、今日の午後に来店予定だったお客様には何か自分が役に立てるかもしれない、というちょっとした自負があった。

 

それもたまたま昨日の電話で分かった話。

 

そのお客様から問い合わせがあり、人工授精直後に腸もみをしていいものかという電話だった。主治医に確認するのがベストだと伝え、腸もみのほかにフットと上半身のリンパマッサージも承っていたので体調に問題なければ配慮しながら行いましょうということで合致。

 

なんと言っても、私が習得したフットマッサージは専門で妊活サロンを立ち上げているサロン事例もあり、90%以上を妊娠へと導いているというのを先生から聞いていたからだ。

役に立てるのなら、ぜひ自分が役に立ってみたい!そして一緒に喜び合えたら嬉しい!

 

そう思っていたら、予約の一時間前に突然のキャンセル…

(人工授精の)注射を打って、体調が思わしくないとのこと。。。

 

 

こればっかりは仕方がない。

 

ちょっとだけ、残念に思っている私。

 

いや、ちょっとだけ??

 

いつもな

ら、これも人生のドラマだと考えて気持ちが切り替わるのだけれど、今日はなんとなくチョット違う。正直に「気分が下がった自分の心」に向き合ってみることにした。

 

 

*********

 

~瞑想① セルフ・カウンセリング~ 

 

残念だったね、急に予約がなくなってさ。

会えるの楽しみにしてたもんね。準備もしてたのにね。

だけど、なんでそんなに残念に思うんだろ?

準備がムダになったから?

予定がすっぽり空いたから?

収入につながらないから?

 

「違う。ぜんぶ」

 

そうか、じゃなんで?

 

「今日のお客様に会いたかったな。」

 

なんで?

 

「自分が役に立てるかもしれないと思ったから。自分の経験や知識を伝えたら、役に立てるかも、って思った。」

 

そうか。

役に立って、どうしたかったの?

 

「そのお客さまが妊娠して喜んで欲しかった。」

 

そうか。サロンに来なくとも、妊娠してくれたら嬉しいね。

じゃあそうなるように、今、あなたが出来ることある?

 

「良い願いを贈る。」

 

そうだね。思いのパワーがその人の力になるといいね。

もしそれでまた、そのお客様がこのサロンを選んでくれる機会があったら、それはそれでいいね。

ところで、なんで役に立ちたいなんて思ったの?

 

「役に立つことで、自分の存在が喜んでもらえると思ったから。」

 

てことは予約がなくなってガッカリした… それは役に立てる場面を奪われたって感じたってことで… 自分の存在が喜んでもらえる機会を失ったってこと??

 

「う~ん、、、そう…?かな…?」

 

予約がないと、あなたは役に立てないの?

あなたは今、喜んでもらえてないの?

今のままじゃ足りてないの?

 

「・・・」

 

 

********

 

 

何気ないところから始まった自分との会話。

だけど、ちゃんと向き合ってみることで本当の自分の欲望が見えてきた。

 

感情が動いた自分の心を探っていくことで、「自分は自分を役に立っていない存在だ」と無意識に思い込んでいることが明らかになった。

これはまぎれもない事実。

これこそが真実。

それが悲しみや落ち込みを生む原因になってて…

感じるべきはそこなんだ!と。

 

 

その望みのためにやることは、必死に努力して予約を増やすことでもない。誰か一人でも多くの人の役に立とうと必死に追い求めることでもない。無理やりポジティブシンキングになることでもない。

 

ただ、視点を変えて癒すだけ。

 

 

********

 

 

~瞑想② セルフ・ヒーリング~

 

自分は自分でありながら、自分でない一つの存在から自分を見る。

まるで愛しい誰かを見るように。

 

ただ元気にそこに居てくれるだけで幸せ。

ただ幸せを感じて笑ってくれているだけで幸せ。

 

思い込んでいた私とは、全く別の私の姿。

ただ愛おしい。

ギュッと抱きしめて、抱きしめた私の姿に意識が戻る。

 

 

********

 

 

ただ自然にそう在るだけでいいんだ。

 

すると、今のままの自分でじゅうぶんだと気がつく。

このままでじゅうぶん役に立っている。

 

何が起きても、がっかりすることなんて何もないのかも。

 

 

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魂レベルで関係性を築く

 

こんにちは。^^

腸もみリンパサロンのオーナー 安部一江(あべちえ)です。

ご無沙汰してました。久々の投稿です。

 

 

***********

 

 

突然だけど、

「魂レベルで相手を見る」ってイミ・・・ 

最近になってようやくわかるようになったさ。

頭では理解していたのだけれど、ストンと腑に落ちる出来事があって。より実生活で使えるようになったかな。

しかも中学生時代の恋の相手がきっかけで。。。今ごろね(笑)

 

 

家庭を持って子供を持った今でさえ、ときどき夢に登場するOくん。

中学1年生のころ人生で初めて一目惚れし、話したこともないのに一瞬で恋に落ちてしまったお相手。私が描いていた理想の王子様にぴったり当てはまってしまって夢中になり、バレンタインでチョコをあげた。

恥ずかしすぎて直接チョコは渡せていない。でもうまく気持ちが伝わったのか、人生初のデートを彼と実現することができた。夢にものぼるような幸運だったのに、当時の私には付き合い方がつかめず、どう話していいのか分からないので、すぐに自然消滅してしまった。

完全な、不完全燃焼(涙)

 

その後「また告白しよう」とかそういう気持ちにはならなかったけど、しばらく心に引きずってしまっていた。

 

しかし、失恋の傷には時間が一番いい薬!

いつの間にかすっかり忘れ去られていて、20年以上経った今になってOくんが再び夢に登場してきた。きっかけはたぶん、実家の引っ越し。

新居に運び込まれた荷物を整理した時に、小学校時代から高校時代くらいまでのお友達とのお手紙や交換日記などがたくさん出てきた。ひとつひとつ読み返しながら懐かしんで、さようならしていった。

 

その中に、友人が彼のことを親切にいろいろ書いてくれたものがあった。

おかげで、大切にしまわれていたはずのフィーリングが一気に蘇る!

 

夢で彼に出会えたときの私のトキメキは当時と変わっていなくて、恥ずかしいくらいのハニカミっぷりになる!ちょっと視線があっただけでもハッピー♪

しかし、夢の中の彼は当時の姿のままなのに、私は今の風貌。しかも二人の子供まで連れていて… おかしいじゃないか(笑)

前々回の見た夢の時は、Oくんがこちらに歩み寄ってきて、子供たちにお菓子をハイと渡して去っていった。

 

 

なんなんだろう・・・?

 

 

夢に彼が登場しても全く疑問を持たなかったのに、この時初めて意味を考え始めた。

 

 

潜在意識からのメッセージ?

欲求不満?

恋がしたいの?

何かを成仏させたいの?

 

 

瞑想中、ひとつすぐ答えが出た。

 

「人の心を欲するな」

 

あぁそうか、と一旦納得したものの、本当の意味はもっと別にあった。

それから数日後、再び現る。

 

 

彼が私の隣に座っていて、今まででは考えられないほどの近さにいる。

私の嬉しい気持ちは変わっていないけれど、なぜか前ほどの緊張感もない。

(※後から分析してみたことだけど、これはこの時、今まで無意識に抱いてしまっていた「彼に好かれたい」「嫌われたくない」「自分を良く見せたい」といった類の意識が消えていたんだと思う。)

 

安々と彼の口元にスプーンを持っていき、「ハイあ~ん」と黄色いフルーツを食べさせた。次の瞬間、Oくんは少し離れた場所に立っていて、その姿に目を疑った!!

 

 

お尻が、でっぷり・・・

下半身ムチムチ!?顔も、なんか思ってたのと違うー・・・!!!

 

 

すぐに悟った。

「これが本当の彼の姿だ!」

 

私はずっと自分に都合のいい色眼鏡で彼を作りあげてしまっていたのだと。

彼に勝手な理想を押し付けていた。

 

トキメキが一気に冷めた!

まるで氷のように、ね。

 

瞬時に自分でも確認したけど、これは嫌いになったわけじゃない。

むしろ親しみが湧いて、愛着が増していた。

 

第三の目が開いて、魂レベルで親しくなれたんだと思う!

 

 

 

その日の朝、ラージャヨガの講座でこんなことを言われた。

 

「目の前にだれが来ても純粋な視線を送りなさい」って。

 

この意味を本当に心に定着させるための体験だったのだと後からわかった。

 

 

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純粋な視線とは。

魂レベルで相手を見るということ。

魂レベルになると、上下関係が全くない。

みんな対等。 

 

 

過去に起こった出来事、相手にこうされた言われた、私が~した、

先生や生徒、親・子供などの関係性、

何かで成功しているとか、どこぞの社長さんとか、どこどこで働いている住んでいる、

結婚しているとかしていないとか、子供が何人とか…、~を持っている、~とつながりがある、

スゴイ!スゴクない!とか…、

 

 

全く関係ない

 

 

ということ。

 

 

特定の誰かに会って、緊張したり、恐縮したりすることもない。

 

 

魂レベルで見ると、

「~さん、最近変わったね」なんてこともない。

だって、その人が元々持っていた素質が、環境や状況によってたまたま表れ出てきただけのことだから。

 

私がちゃんと見れてなかっただけ。

 

ただ、それだけのこと。

 

 

 

やね。^^

 

 

 

 

 

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内側から本当に輝きたい方、健康を目指す方はいつでもご相談ください。

 

愛の原理

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最初に手を出した方がインパクトがあるので、暴力的にふるまい出したほうが悪者扱いされたりする。

 

どちらも譲らないと仲裁人(親)まで入ってきたりするのに、いつの間にか仲裁人でさえ結論のもっていきどころが分からなくなってしまって、どっちが悪くてどっちが悪くないか、みたいな収束に至り、

 

終いには無理やり「先に手を出したお前が悪い!謝れ!」と権力で抑え込もうとしたりする。

 

 

これはたかが家庭内で起きた日常茶飯事な事だけど、裁判とか戦争とか、世界中で起こっていることはこの延長線のことだよな、と考えが膨らむ。

 

 


だけど、それでは本当の問題解決になっていない。

どちらかに恨みが残ってしまうのだから。

このやり方では、どちらかか泣き寝入りするか、暴力の連鎖が止まらなくなってしまうことになる。

 



~ 昨日、我が家で起こったこと ~

 

息子がいきなり姉を叩いた。

一緒に見ていたDVDを、姉(娘)が自分がお風呂に入るから、と断りもなく勝手に止めたからだ。言葉のまだおぼつかない息子が衝動的に姉をぶってしまったのは、私には自然の流れに見えた。

だけど娘は、自分は何も悪い事なんてしていないのに弟にいきなり一発くらわされた!と怒り心頭で、「絶対に(弟を)ゆるさない!」とにらみつけ10倍返しをくらわせた。

 

別の部屋にいた夫が仲裁に入り、先に暴力をふるった息子に謝るよう説得。かなり嫌々だったけど、ちゃんと謝った… だけど、それでもまだ不穏な空気は治まらない。

 

その時、最後に付け加えた私の一言で娘の表情が一変した。

 

娘は気がついてなかったのだった。自分がDVDを勝手に止めたことが、最初に弟の気分を害したのだと。。。

自分が悪かったんだと気が付くと、今度はポロポロ泣きだした。

 

 

そのあとお風呂から上がってからは、DVDを一緒に観ていたときも「○○ちゃん(弟)、トイレに行くからちょっと止めさせてね~」とちゃんと声をかけていた。

 

 

な~んだ… こういうことなのか

 

 

と、ひとり悟りの境地に至るわたし。

 

 

 

衝動にかられた暴力や暴言は、愛のない行動の反動だということ。

 

これだと永遠に問題は尽きないんだということ。

 

相手を思いやること、愛の表現が、自分が幸せにつながっているんだと識ったら行動は変わること。

 


子供は発達段階だから、時々愛のさし水が必要になるけど・・・


一般的に「大人」と言われる人の中にも、まだ子供が存在していたりする。

 

自分もみんなも幸せで、平和を保つためには


「ちゃんと気づけること」

 

まず、これが大切なんだね、って思った。

 

 

 

 

月に一度、子育て講座やっています。実際の子育てだけでなく、自分の中のインナーチャイルドがもっと育てられれば、もっと幸せで、もっと人間らしい本質的な生き方に近づけます。ご興味ある方はホームページからお問合せください。

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「徳だらけの子育て講座」への思い|子育て|ブログ|B more B 腸よろこぶリンパケア

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ウィルス感染を阻止できれば、平穏で幸せに生きられる?

私が浪人生だったころ、斜め向かいの家に住んでいた中学三年生の男の子が急死した。高校受験を直前に控えた、冬の寒い時期だった。

聞いたところによると、本屋さんで倒れ込んでそのまま···って話らしい。おそらく寒暖差から起こった心筋梗塞か何かだと思う。

 

でも、私が最後に見た姿は、元気だった。


少し歳が離れていたからたくさん話すことはなかったけど、自転車で家の前を駆け抜けていく姿をしょっちゅう目にしていた。いつも立ちこぎで颯爽と通り過ぎていく、それがとても印象的だった。

 

 

母から報告を受けた時、衝撃だった。
「たしか、今日の昼頃も元気そうな自転車姿を見かけたけど・・・!」
そう思ったのを覚えている。

 

 

 

このことは私にとって、とても大きな出来事だった。

天地がひっくりかえるほどに。


だって、初めて思ったんだもん、


「ぁぁ、私もみんなも、突然、死んだりするんだなぁ」って。


常識が覆された。

 


それまで、生きていることが当たり前だったけど、死ぬ方が当たり前になった。

 

 

健康であることを気遣っていても、事故に合わないことに注意を払っていても、

生きている限り、人知に及ばないようなことが突如として起こり得る。


 

 
それから注意するようになった、ひとつの項目。

 




『今やろうとしていることが私にとって本当に妥当かどうか。』を確かめること。

 

 


本当にやりたいと思ったなら、それでいい。

 

本当にやりたくないと思ったなら、それでいい。



たとえ突然、自分のいる場所で死に見舞われるような事件や事故、災害などにあったとしても、「だって、しかたなかったもん~」と受け入れられること。

 

 

それが私にとって、生きる覚悟だ。

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生きている限り、人はいつか死ぬ。

 

目には見えないけど、死の爆弾をいつでも抱えているのだ。

 

今、この瞬間だって、いつでも。

 

生きているかぎり、みんな。

 

 

 

 

 

なのに、昨今のウイルス感染にまつわる死の可能性は、異常なまでに恐怖心があおられすぎていて、生きる事への大事な何かを見失わさせられている気がする。

 

 

ワクチンを打てば、死の恐怖はどこまで遠ざかるのだろう?

 

死は、ウィルス感染だけ?

 

健康を保ちたいならワクチン打つ以外にもやれることがたくさんあるのに、どうしてそっちに目が向かないのだろう。

 

鼻を覆って、自粛して、本当は孤独なのに人とのつながりを断って、殻を閉ざして行動しない・・・


生きるって、死の恐怖から逃れること?

 

 

ねぇ!もっとハッピーに生きようぜッ♪



 

 

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楽に楽しく生きていく

決して落ちこぼれてはいけない、と恐怖心にあおられ、必死に勉強した中学時代。

どういうわけか小学校の高学年ごろから、高校受験に失敗したらその後も辛い人生が続く、と思い込み始めていた。幼いころから不器用で、周りのお友達に比べて頭の回転が悪かった自分は超ヤバい…!と追い込まれていた。

 

私にとって、中学校入学は人格を変えるチャンス!だから、気が緩むのを決して許さなかった。

 

おかげで高校は学区で一番優秀な学校へ入学。だけどそれと同時に目標を見失い、自ずと「生きづらさ」を抱え始める。。。

 

 

どうしたものか、

中学時代は机にかじりつくほど勉強が好きだったのに、何もやる気が起きない。

急降下してしまった成績を見ると、ますますやる気を失ってしまう。

 

 

 

高校生活で救いとなったのは、気の合う友達たちと過ごせたことと、美術の時間。美術は評価を受ける一環にあるのに、唯一遊びでしかない授業だった。与えられた課題はぜんぶ目新しく、ただ好きにアイデアを出すだけでいい。

自然にやっただけのことが、学年一の成績で評価された。

 

それまで、「評価されることは、努力の先にあるもの」と思い込んでいた私には、まるで奇妙でしかなかった。

 

 

 

「なんで・・・ ?」

 

 

 

毎年行われる学祭では何もお役に立てることが見つからなくて、看板製作くらいなら… と軽い気持ちでポスターを描いた。すると、コンテストで表彰。

クラスのみんなにびっくりされたけど、たくさん喜んでもらえて嬉しかった。

 

 

 

「なんか、 幸せかも・・・ 」

 

 

 

美術が得意なんて思ってなかったから、まるで棚ぼた(←棚から牡丹餅の略)。

 迷いなく美術部に入部しコンクールに絵を出展しまくると、たくさん賞がもらえた。そして、いつの間にか自信を得ていた。

 

 

 

今思えば、何も頑張れなかったからこそ気づけた本当の私。

 

 

美術を目指した後も色んな挫折があったけど、それは自分の特質をもっともっと理解して深めていくためだったんだなって思う。

 

 

 

必死に何かにしがみついて、失くしたら自分の尊厳まで失われかねないと思うほどプレッシャーになっていること。もしそんなのがあって、それがあなたの心を苦しめているとしたら「一度手放してみるのはどうでしょう?」と提案したい。

 

 

人生は自分のお宝(特質)探し。

発見して、それを活かして自然に生きれられれば、

今よりもっと楽しく、楽に楽に生きられる。

これ、間違いないよ。^^

 

 

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高校時代の恩師、美術作家:杉浦美佐緒先生と。

 

 

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これぞ人生最大の幸運!!?

悲劇ではなく、まるで喜劇のような出来事。

車両事故を起こしてたった一ヶ月で、またもや自損事故。

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↑2回目の事故はこの反対側が全く同じようになりました(涙)



前回の修理費約40万円に引き続き、また30万円近くの出費。

O M G 。。。!

前回の修理から戻ってきた車のタイヤに、なぜか石ころが入り込みとんでもない騒音。事故の後遺症だと思って修理店に一日預けたものの、車を取りに行ったその帰りに、また事故。・・・マジでアホ。



さっき、「お世話になりましたー!」と手を振って店を出たところなのに、「またお世話になります。。。」と電話を掛ける屈辱さと言ったら… 情けなすぎる。





ぎゃ~~~~~~っ!!!!!!!!(涙)



と、当時は叫ぶ気力もなかった。




車の側面下のパネルが完全に剥がれ落ち、見たときはさすがに震えた。






お、おわった・・・・。





とさえ思えた。






あの時は落ち込んだけれど、時間が経てば、


「なんだ・・・たった70万円ではないか。」と思えてくるから、不思議。(笑)


人生で考えれば少ない方?公立大学の授業料くらい?
しかも2回とも身体は無事で、子供も乗っていなかった!
・・・これぞ、不幸中の幸い✨

今年、せっかくサロンで売り上げたお金を全部奉納したかんじ?

と色々と視点を変えて見てみれば、少しは気が治まった。…悔しいけどッ!
天には敵わないもんね。





でも、まあ、ものは考えようで、知人に勧められて念のため霊能者のところへ・・・。

すると、仕事中知らず知らず何かを受けていたみたいで、お祓いされた。(←余談だけど、これは本当にあると思う!!これはまた別のテーマで!)


同じセラピスト仲間にお話しすると、「よかったね!」と拍子抜けするような励ましの言葉が返ってきたりもした。

強制的ではあるけれども、大金払って大厄が払えたのだと思えば安いもん。それと、金銭的なステージが変わるきっかけとかなんだとか。
ホントに?(笑)




うーん、そうだったら有難いね。





信じるか信じないかは自分次第だけど、たしかに、何かに守られているかんじはする。

気のせいだかなんだか、事故前に比べてなんだか身体か軽くなった。

↑どういう意味かというと、
事故前はなんだか分からないけど、常に焦っていて、とにかく「忙しい!アレしなくちゃ!コレしなくちゃ!」って気持ちが静まらなかった。

それが、2回の事故で、何かが吹っ飛んでいったかんじ。

しぜ~んに落ち着きが出てきて、細胞がポワワ~ンと強制的に緩んだのかな??分からないけど、心にちょっとゆとりができた。



2回も身代わりになってくれた車には、本当に感謝しかない。



それにしても、やはり人の体を触る、傷ついた人の心を癒すというのはただ事ではないようで、セラピストで起こる常識が私にも当てはまるのだと身に染みて実感した出来事になった。


毎日、お清めの塩を持ち歩き、気のバリアで自身をガードする。


とか言いつつ、やっぱり施術後は異様に気分が悪くなったりするときもあって、

娘に背中をバンバン叩いてもらったり、自分が良いと信じてお客様へ提供しているあらゆるものを全部自分に施す・・・!


すると、すっきり✨


目に見えない世界って面白すぎる。



それと、運転中の過度の緊張感を取り払うため、
ようやく車両保険に入ってやったゼ!
これでもう、事故によるお金の心配はないハ・ズ!(笑)








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死にはしないけど、生きる欲望もない。

こんにちは。

腸もみ先生こと B more B リンパセラピストの安部一江です。

 

 

突然ですが、「死にたい」って思ったことありますか?

 

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平々凡々とフツーのサラリーマン家庭で育った私ですらあるのだから、目には見えないけど、密かにきっとみんなあるんだろうなと考えたりする。

 

 

辛かった記憶… 私の中で大きかったのは三度ほど。

 

 

一度目は、大学受験のために必死にデッサンを頑張っていたとき。

頑張っても頑張っても満足するものが描けない。

講評では、人格否定か?!っちゅうほど批判され、毎回、頭を思いっきり殴られたような気分になる。

その後、無事に家に帰りつけるのが奇跡で、家の前で原付バイクを降り、家に入って、ご飯を食べようとしたときにようやくヘルメット被ったままの存在に気が付く…、というような放心状態の時もあった。

 

 

二度目は、20代半ばで経験した男の裏切り。。。

お金こそ奪われなかったものの、それまでときめきでいっぱいだった私の心のやり場が突然なくなってしまった。今は思い出せないけど、これは超絶苦しかった記憶がある!

なんとかちゃんと会社には行けていたものの、家の鍵を閉め忘れたり、信号を渡った記憶がなかったり・・・。誰とお話ししてても、お酒を飲んでも楽しくない。逆に余計辛くなったりして、突然涙が抑えられなくなったりした。

 

 

三度目は、福岡へ転勤で来た時。

それまで通用していたありのままの自分の態度が周囲に受け入れられない。相手の期待に応えられていない自分に傷つき、周りからの冷たい視線や態度が追い打ちをかけた。何をどうしていいのか分からず、心を閉ざしてしまいそうになった。

 

 

 

 

 

「生きるのがツラい」「いっそのこと死んでしまいたい」ってほど落ち込んだ経験だったけど、今は楽しい。

諸行無常ってこのこと?(笑)

今度の子育て講座テーマが「自死を選択しない~」だったので、今まで自分はどうやって解決してきたんだろうって、ちょっと予習がてら考えてみた。

 

 

もちろん、「時間」と答えてしまえばそれまでなんだけど…。

 

 

 

*******************************

 

 

 

最近、独身女性の自殺が増えていることが話題に上がっていたりするが、

既婚者でなく「独身」というところがとても納得がいく。

 

 

今は子供がいるし、生きる使命のような志事を見つけたから、死にたくない、とか生きたいって熱く思えるけど、正直、それまではどっちでも良かった。

 

私を愛してくれる、親や、祖母、祖父のため。

ただ、それだけのために笑って生きている。

死ぬのは怖いからあえて選択しないけど、そこに生きる欲望なんてのもあるわけじゃない。

 

だから、もし、その愛情のつながりが途絶えてしまっていたなら、選択の余地は十分にあるわけで、

死の恐怖さえ拭えれば、選択できる。

いつでも、誰でも、生きる苦しみが引き金になる。

 

 

 

だから、死を選択しない一番の解決策は、

 

素のままな私を、愛してくれる誰かとちゃんとつながっていること。

 

 

 素なままな私とは、何もできない、赤ちゃんのような私。

 

何も頑張らなくても、ただ、存在だけを喜んで愛でてくれる人。

 

もしかしたら、動物でも、大自然でもいいのかもしれない。

 

 

 

振り返ってみると、その時に応じて、ちゃんとそのような誰かがいた。

 

 

 

家族もそうだし、お休みの度にドライブにつれて行ってくれた友人…

 

 

 

 あ、

 

ヤバい。

 

書きながら、涙が出てきた。

 

 

でも、ま、そういうこと。

 

 

 

 

ちなみに、私は腸もみセラピストでもあるので一言付け加えておくが、

 

「愛情たっぷりな美味しいものを食べる。」 これも超大事!

 

今でこそ、セロトニンだ、ホルモン分泌だって理屈で説明できるのだけれど、

 

家に帰って母の作ったご飯を食べた時、一瞬でツライ気持ちが吹き飛んだことがあった。たしか、見た目はフツーのお魚だったかな。(笑)

 

 

愛情は水質に転写されるらしい。

これは最近、ある実験のドキュメンタリーを観て知ったことだけど、私の経験でもちゃんと実証されている。

 

 

幸せなんて、案外単純。

 

だって、人間だから。

 

所詮、自然の一部だもん。

 

 

 

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